かわなべひろきのブログ

日々の雑感とか

夜にて

 先日、嫁さんが家を空けていて、自宅に一人の夜がありました。

 

一人が当たり前だった一人暮らしの頃、一体夜は何してたかなぁなどと思い返して過ごしました。

 

 

僕にとって20代後半の数年間は、インターネットと図書館ばかりが普段の遊び相手でした。 大好きだったハズの音楽も聞けなかった。

 

都会の片隅で、特にこれといってやりたい事もなくなり、「ただ生きいてる」という状態の僕はエグいほどの悲壮感を漂わせていました。

 

何者かになる為に都会に出てきて、何者にもなれずにいることがただただ情けなく恥ずかしかった。(今思えばただの自意識過剰でウケる)

 

あきらめきれない色んなことを、あきらめるキッカケをくれた一冊の本との出会いで、僕は様々な決断をして生きのびることができましたし、そのおかげで新しい出会いにも恵まれ、大切な人も増えた。

 

なんだ、「ただ生きている」だけで結構充分だな、と今は思える。

 

 

この前、ある方からもらったフリーペーパーにとあるセミナーのお知らせが載っててそのコピーが、

「あきらめてはいけない!」

でした。

 

出た…。これ系のセミナー…。

僕はこういう活字や言葉が、時としてどれほど人を追い込む殺傷能力を持っているのかを経験から知っているので、あんまり今の自分の好みにはフィットしないんです。

 

ということでこのセミナー、

逆に参加したいな!

と思ったのですが、日付を見ればスケジュールの都合上、行けないことになりました。

 

「あきらめてはいけない」セミナーに参加することを「あきらめなくてはいけない」という、なんとも言葉遊びが過ぎる日常だなぁなどと、思いました。

 

この頃は、苦手なものや好みにフィットしないモノや世界にこそ、ガンガン触れていきたいなぁ、とも思っています。

一度触れてみないとわからない事ばかりですし、食わず嫌いするのももったいないですものね。

 

アスカも歌ってましたもんね。

「100ある甘そうな話なら  一度は触れてみたいさ」

 

 

ところで、僕がTwitterでフォローしている人が有名人の訃報に触れて、

「わたしも周りへの感謝を忘れずに生きよう」

とつぶやいたその2日後に旦那さんのエグい愚痴をつぶやいていて、「感謝の気持ち、はやくも迷子かよ」と、苦笑しました。

 

生活者の中から不意にぽろっとこぼれてくる、こういった、「丸腰の表現」ってサイコーですよね。

 

もはや、あの感謝のツイートは、旦那の愚痴でオトすための前振りでしか無かったのではないだろうかと思ってしまう程でした。

 

気持ちってどうしてこうも続かないんでしょうね…。

 

 

似たような話なんですけど、僕このブログ記事作るのって1日のうちのどの時間でやるとか、特に決まってないんですけど、夜に作った文章ってかなり高い確率で黒歴史になりますね。

 

大概、消去することになります。

  

夜の考え事って、翌朝思い返すとイタいなって思うこと多いです。

 

そう言えば以前、村上春樹調の文体のイタい日記が片付け中に出てきたことをここで書きました…。

 

これ参考記事

古い日記 - かわなべひろきのブログ

 

で、この日記をつけてたのっていつも夜でした。 

夜って人を村上春樹にさせる何かがありますよね。

  

やれやれ。

 

それでは、今日はもうおやすみなさい

 

八百屋にて

八百屋で野菜を選んでいました。

段ボールの中に所狭しと敷き詰まった玉ねぎ。

手に取って選り分けている時にふと思ったんですよね。

 

「これも一期一会だね」

 

何の縁か、どこからやって来たんだか、

手に取ってみると箱の中の玉ねぎとも、しみじみと一期一会の不思議を感じたりしますね。

 

いま手のひらにある玉ねぎ一つの中にも、農家さんが水やり肥料やり手塩をかけて、どっかの土の中で育てあげたことや、そしてトラックか何かで運ばれて、八百屋さんが陳列してくれたことや、そのほか無限に広がる物語を感じるほどに、なんかこう暖かいものが心に溢れてくるんですよね。

 

心の中で語りかけてみるんです。

 

「玉ねぎさ、おまえ、今日ここで出会ってくれてありがとうな」

 

すると玉ねぎの声がするんです。

 

「いやいや、箱に戻すってこれ買わんのか〜い!」

 

 

思い返せば、うちの冷蔵庫結構まだ玉ねぎ残ってたので、買う必要がありませんでした。

次は、調味料の棚に行って醤油のビンを一つずつ手に取ってラベルをしげしげと眺めていました。

 

棚に整然と並ぶ、色とりどりのラベルを見てて思ったんですよね。

 

「それぞれがそれぞれのふるさとがあるんだね」

 

僕も今は育った町で生活をしていますが、10年ほどは県外で生活をしていました。

詩人、室生犀星が詠んだとおり、

「ふるさとは遠きにありて思うもの 」

 

きっとお醤油たちも戸棚で生まれ育ったふるさと、つまり醸造所のことなどを思い返しているかもしれません。

ふるさとを離れ、今こうやって目の前で嫁ぎ先を待っている醤油がけな気でとてもいじらしく思われてきます。

 

一つビンを手に取ると、先の玉ねぎじゃないですが一本の醤油にもたくさんのドラマが浮かんできます。

 

醸造所の方々のこだわり。試作の日々。醤油が完成し産声をあげた、それからこれまでの歴史。そして今ここで僕が手に取ったという、一期一会の奇跡。またしみじみと、暖かいものが胸にこみ上げてくるのを感じました。

 

心の中で、お醤油に語りかけてみました。

 

「お醤油さ、おまえ、今日ここで出会ってくれてありがとうな」

 

すると、お醤油の声がするんです。

 

「いやいや、棚に戻すってこれ買わんのか〜い!」

 

お醤油もまだ結構残ってたんですよね。 

特に今買う必要は無いので棚に戻しました。

 

そんなわけで、八百屋に来たはいいものの、そう言えば買うものないな、と、入った後に気づいたんですよね。

 

惰性で八百屋さんに来ると、そーゆうことってありますよね。

「何買うのか忘れた」

ではなく、

「買うものがないこと忘れてた」

という状況。

 

気をつけたいと思います。

通勤路にて

梅雨入りしましたね。

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ここ最近、雨降りでない限りは自転車に乗らず徒歩で通勤するようにしています。

 

と言っても片道25分くらいの道のりですが。

都会を離れ、地元に戻ってきて今年で5年目。

 

地方都市の生活って、

まーーーーー、ほんと歩かないです。

 

基本、車ですし。

イオンだのスーパーだの行けば、入り口に1メートルでも近い駐車場さがすし。

ちょっとそこのコンビニも車で。

 

以前の半分の半分も日常的に歩いていない気がします。

 

 

30代にして、こんだけ足使わんのヤバイ…。

今のおじいちゃんおばあちゃん達が若い頃、絶対もっと体使ってたやろ…。

と思い、健康のために歩くことにしようと、

思ったわけではなく

なんとなく徒歩通勤始めてみたら想像以上に気持ち良い時間だったのです。

 

歩いていると、自転車や車に乗っている時とは違った発見をします。

 

 

先日も(写メ撮り忘れましたが)前を歩く男性のTシャツの汗染みが、奇しくも世界地図みたいな形になっていて、

 

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(こんな感じで、肩甲骨付近メインで発汗)

 

「我、世界を背負う男なり!」

 

といった感じになっていました。

 

僕の背中が同じことになっていたら、周りの人には絶対に教えて欲しいな、と思いました。

 

鼻くそついてるよ。とか、口臭するよ。

などと同じように、言われた本人も恥ずかしかったり傷ついたりするかもしれないので、多少言い辛いとは思うんです。

でも、例え一時的に傷つけたとしても、教えてあげることが本当の優しさかもしれませんよね。

 

だから、僕は教えて欲しいなと思います。

 

背中が世界地図になってるよ

 

って。

言われた瞬間、顔から火が出る思いや、

穴があったら入りたいくらい恥ずかしいことは覚悟します。

とにかく「我、世界を背負う男なり!」

は、避けたいですよね。

 

 

 

それからこの頃は、垣根のそこここにあじさいの花が綻んでいるのをよく見かけます。

 

あじさいの咲き方って独特の「見られたがってる感」を受けませんか?

 

やけに主張してくるね〜、みたいな。

垣根からの花の覗かせ方パないねぇ、みたいな。

 

あじさいがもしSNSやってたら、自撮り画像たくさんアップしそうなタイプだよなぁとか思ってしまいます。

ハッシュタグに 「#お花さんと繋がりたい」 って載っけるんだろうなぁ、と。

 

そんな健気でブレずに主張してくるあじさいにも、気持ちが和む通勤路。

 

とにかく、毎日色んな発見に触れつつ、気持ち良く歩いて通勤してます。

 

 

日々の生活においてもなんか退屈だなぁとかダルいなぁ、などと感じたら、

ただ歩く

これだけでも結構気持ちがスッキリするものですね。

 

歩くまではめんど臭く感じても、歩き出すとどんどんノッてくるものですね。

 

それに、歩くことに限らず、めんどくさく感じることをやった後って、想像以上に爽快感を得られることがほとんどですね。

 

この爽快感を得られるだけでも、「めんどくさい」に立ち向かっていく価値は充分にありますね。

日々、生活する中で無気力のスパイラルに陥りやすい僕ですが、少しずつ「めんどくさい」をやっつけていく事にします。

 

 

あー、もうめんどくさ…。 

お寺にて〜法話編〜

前回の続き。

 

祖母の三回忌法要で訪れたお寺にて、

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(イメージ画です)

 

件のお坊さん、読経のあと、

「本日はお疲れ様でした、最後に私の方から本日の法話をさせていただきます…」

と。

 

いったいどんな話をしてくれるのかな。

こうゆうときのお坊さんの法話、何気に僕は楽しみにしてるんです。

気持ちがスッキリしたことが今まで何度もありました。

 

 

見れば今日のお坊さん、どう見ても僕より歳下。

お坊さんが歳下というのは僕の人生で初めての経験。

 

(ほう…キミのような若僧が俺に?どれ、聞かせてもらおうか…。)

 

という、歳上というだけで相手より優位に立とうとするイタい自分が、お寺という敬虔な場所でもガンガン顔を出してきました。(ほんとに俗物だなぁ僕は) 

 

そうして、お坊さんが話し始めました。

話を聞き終えた感想から先に言うと、

 

 

退屈が飽和しました

(法話だけにな!やかましわ)

 

 

僕の感覚が狂ってる可能性も否めないので、同じく参列していた身内に一応、感想を聞いてみました。

「何が言いたいのか、全くわからんかった…」妹談

「話長かったね…」義姉談

「早よ終わってくれって思った」兄談

「話、へたやったねぇ」母談

 

満場一致のマイナスジャッジ。すごい。

 

ただ、僕は、前回のブログで綴ったように、人にも自分にももっと寛容になりたいと思っているので、退屈が飽和したのは事実として、

それをストレスに感じることはなく、ただ頬に吹きつける風を感じるようにお坊さんの法話を聞いていました。

 

そしてそれはまるで、

マチュアミュージシャンの(ダメなパターンの)ライブMCを聞いてる心地がしました。

 

うんちく多め。ユーモアなし。遠い目。

 

起承転結、という言葉がありますが今回の法話に関しては、

起転転転転転

といった感じで、1つ1つのエピソードが全く結びつくことなく、転じて転じて転じていつの間にか終わっていました。

 

「like a rolling stone」 というロックにおけるボブディランの名曲がありますが、まさに転がって転がって転がり続ける石のような法話。

 もはや、法話という名のロックンロール

僕の中で、このお坊さん

ダメなパターンのライブMCをするロックンローラーだな、という結論に達しました。

 

まさか、祖母の三回忌法要の場で、こんなロックンロールショウを見られるとは夢想だにしませんでした。 

 

 

人は誰しもロックンローラーな部分を持っています。

思い返せば、僕の祖母の場合は

すき焼きロックンローラーでした。

 

幼い頃祖母の家に行くと、LPガスのデカいボンベ式の卓上コンロで、いつもすき焼きをご馳走してくれました。

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(こんなやつ)

 

このボンベを見ると、祖母の家に来たなぁという感じがしました。

すき焼きロックンローラーである祖母にいつも、ぼくの味覚はRockされていました。

肉と味覚のコール&レスポンスが鳴り止みませんでした。

 

美味しい料理に欠かせない一番の味付け。

それは、

一緒に食卓を囲んでくれる人の存在

だと、今にして僕は思います。

 

幼い僕たち兄弟を、あたたかい料理で、食卓で、笑顔で包み込んでくれたすき焼きロックンローラーである祖母に、改めてありがとうの思いがこみあげます。

 

「Knockin' on heaven's door」という、ボブディランの曲がありますが、天国の扉を叩き旅立っていった祖母のロック魂を僕も受け継ぎ、今生を僕なりに精いっぱい生き抜いていこうと、この三回忌を機に思うことでした。

 

末筆ながら、

 

本当にありがとう、ばあちゃん。

 

 

お寺にて〜読経編〜

祖母の3回忌。

 

 

もう亡くなって丸2年かぁ。

早いなぁ、、とは言いつつもこの2年で起きた身辺の変化を思えば、過ぎた歳月の重みをはっきりと感じます。

 

今日は亡き祖母への慕情に浸っていようと、朝から思い出の数々をなぞっていました。

 

法要は市街地にあるお寺で行われるので、定刻には到着するように家を出ました。

 

愛車のハーレー(と呼んでいる原付)にまたがってご機嫌にハイウェイ(と呼んでいる県道)を風のように。

 

ものの10分でお寺に到着すると、待ち合わせていた家族と合流。

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(イメージ画です)

11時になると御堂にて、お坊さんによる読経が始まりました。

 

 

今まで一体何人のお坊さんの読経を聞いてきたか、数えていないので正確には分かりませんが。

この日の読経ほど「はらわたにクる」ものも無かったように思います。

 

確信犯でしょ?と疑いたくなるほどに、僕の笑いの琴線に触れて来るお坊さん。

 

(いかんいかん!今日は大好きなばぁちゃんの三回忌なんだ!)と何度、自分を戒めたことか。

 

しかしそんな僕の戒めの防波堤を、「シャ〜リ〜なんちゃらなんちゃらかんちゃら…」という坊さんのオモシロ読経の津波は軽々と飲み込むのでした。

 

草刈正雄さんを彷彿させる発声。

ロディアスにして、過剰なヴィブラート。

ほんとなんなの、この坊さん…。

 

 

時に、これは以前から気になっていたのですが、お経を聞いているとやたら、

「シャーリー」って出てきますよね?

 

詳しくはそれが何を意味するのか知りませんし、僕は音として「シャーリー」を認識しているだけなのですが。

 

この日も、何シャーリーあったか分からないくらい、ふんだんにシャーリーがあしらわれていました。

ちょっと散歩すると見かける美容室の数くらい頻繁にシャーリー。

並盛りシャーリーだくでした。

 

 

そんな事ですから、ついつい僕の意識はシャーリーをカウントする方へ。

(1シャーリー…2シャーリー…3シャーリー…)というように。

 

そうして聞いていると、シャーリーとシャーリーの間隔が狭い時もあれば、中々次のシャーリーがこない時もあるんですね。

 

かつて僕は東京都の調布市という町に住んでいた事があって、京王線に乗って新宿方面へむかうとき。

西調布駅調布駅布田駅

という駅の並びなんですが、同じ一駅でも、西調布から調布、そこからの布田とでは距離の間隔が全然違ったんです。

そんな京王線とまったく同じことが、シャーリーにも起きていました。  

 

あれ?まだこないのかな…。ネクストシャーリーまだかな…。

と、計らずも「シャーリー待ち」をしている自分に気づき、あまりに現れない時などは「シャーリーロス」に陥りそうになったことは言うまでもありません。

 

そんなことなので結局最後まで僕の意識は、シャーリーという名の鎖に繋がれた囚人のようでした。

 

読経が終わり、まず僕が思ったこと、それは。

 

 

 

「ばぁちゃん…ごめん」

でした。

 

大事な三回忌に、

世間は海開きこちとらシャーリー開きにうつつを抜かせてしまい、祖母に向ける顔がないなぁと。

法要のあいだは、祖母への思いを馳せていようと決めていたのですが…。

 

本意ではないとは言え、自分がやろうと決めたことをできずじまいになると、自分を責めてしまう部分てありますよね。

(あーなにやってんだ俺、ほんとダメなやつ…)

みたいに。

 

でも、最近の僕は人にも自分にももっと寛容になりたいなぁなどと、思うのです。

そうゆうもんだよねー、と、丸ごと受け入れる器があれば、きっと、人のことも、自分のことも責めなくて済む。

 

 

ですから、この日も、

「ばぁちゃん、ごめん。」

その思いを区切りに、たらたらと自分を責めたりはしませんでした。

そんなことは、祖母だって望んでないはずだし。

 

それに、僕の祖母は海のような広い心と太陽のような笑顔の持ち主でした。

 

これくらい、

「ひろき、あんたはほんにおもしろかねぇ」

(本当に面白いねぇ)

と、笑って許してくれることでしょう。

 

 

 

でも、これだけは分かってほしい。

 

 

あの坊さん、きっとわざとだから!

 

 

そして、読経にとどまることなく、坊さんからのさらなる猛攻が……

 

 

 

 

〜法話編〜、につづく…

 

服屋にて

シャツを買いに出かけました。

 

僕は規格外の瘦せ体型。

 

痩せ方がほんと非常識なレベル。

痩せ方がアインシュタイン

 

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(常識を疑い続けた非常識な物理学者)

 

 

そんな非常識な、アインシュタイン痩せである僕にフィットするシャツは、メンズではなかなか出会えない。

 

パンツに至っては絶望的。

 

メーカーにはSやXSの他に、アインシュタインSというサイズを作って欲しいくらいですが、なかなかそこまで自分の都合のいいように世の中はできていません。

 

僕は、身長は170センチと人並みよりやや低いくらいなのですが、体の厚みにがとにかくアインシュタイン(非常識)。

一時期のガラケーみたいな体型です。

 

 

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(ども〜かわなべで〜すやかましわ)

 

 

そんなことなので、最近はレディースの服に関心を持ち始めておりましたが、なかなか服屋で物色する勇気を出せず。

 

 

男がレディースの服を選んでるの変に思われないかなぁ、とか。

店員さんにプレゼント用ですか?って聞かれたときどんな顔すればいいのかなぁ、とか。 

「いや、自分用に選んでます」って返したら店員さんに笑われないかなぁ、とか。 

いつもの、僕のことなんか誰も気にしてないのに、恥をかきたくないという勝手な自意識過剰に頭を悩ませておりました。

 

 

 

そんな悩みを抱えたある日、

洋服屋さんを営む友達が言ってくれたんです。

 

「なべちゃん(僕のあだ名)さ、レディースで服選んじゃいなよ!  レディースにもカッコいいのたくさんあるしさ!」

 

 

お!やっぱりアリなのか!服屋のオーナーが言ってくれるんだから、これは心強い!と。

レディースコーナーで服を選ぶ勇気が灯り始めた僕に、嫁がダメ押しのエピソードを教えてくれました。

 

 

菅田将暉くんもさ、レディースの服とかコーディネートしててオシャレだよね

 

 

 

 

絶句しました。

 

 

 

 

すす、す、すす、菅田くんが…!!

 

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 (ほんとにカッコいい。)

 

 

 

今をときめく菅田くんは、メンズ、レディース、分け隔てなくオシャレだと感じたものはコーディネートに取り入れるんだそうです。

さすが菅田くん。

 

 

わが地元、鹿児島中央駅をパニックに陥し入れたのも記憶に新しい菅田くん。 

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(鹿児島にこんなに女の子集められるの、菅田くんしかおらんぞ!)

 

 

なんだ!菅田くんもレディースを着るのか!と勝手に背中を押された気持ちの僕。

(菅田くんはオシャレの為。僕はサイズがない為。というレディースに向かう本質がまったくもって異なることは棚に上げます。)

 

 

 

以上2つの出来事、

◎服屋のオーナーのすすめ

菅田将暉くんのエピソード

に触れ、これはもう意気揚々レディースの服選べるな、という思いに至りました。

 

これなら店員さんに自信持って応えられるな、と。

 

 

「今日はプレゼント用ですか?」

 

「いえ、自分用ですけど、、なにか?」

 

 

 

 

 

 

 

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(自分用ですけど、なにか?)

 

 

店員さんにも、顔近めで揺るぎない自信を携えて言えそうです。

なんせ僕のバックには、

服屋のオーナーと、菅田くんが付いてますから。

 

 

 

「どういったものをお探しですか?」

 

「オシャレなパンツてすが、なにか?」

 

 

 

 

 

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(オシャレなパンツですが、なにか?)

 

 

 

 

今や僕には男でありなが、レディースのパンツを選ぶことにもなんのてらいもありません。

 

なんならこちらからがんがん仕掛けていきます。

 

 

「このパンツ、試着したいんですが、なにか?」

 

 

 

 

 

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(このパンツ、試着したいんですが、なにか?)

 

おっさんが、レディースのパンツを試着するのはきっとNGでしょう。

女の子も、おっさんが履いたパンツなんか買いたくないに違いありません。

でも今の僕にはそれを申し出る勇気があります。

 

店員さんに言われるかも知れません。

「いえ、男性の方のご試着はご遠慮いただいております。」

 

断られたっていいんです。そんな失敗も覚悟ができています。

僕には、服屋のオーナーと菅田くんも付いてくれてる。

今の僕は、以前よりも自分にフィットするパンツに出会える確率が、確実に上がっているんです。信じて突き進めばいつか絶対に出会えます。

 

 

大切なことは

失敗して恥をかくことを怖れてやらないよりも、勇気をだしてとりあえずやってみること

なんですよね、きっと。

 

 

 

それでは、服屋の店員さん。

薄型ガラケーみたいなおっさんが、レディースのパンツ物色してたら多分それ僕なので、どうぞお手柔らかにお願いいたします。

 

 

p.s

僕にアドバイスをくれたオーナーの営む服屋とはこちらです。シャレ乙さんは行かれたし!

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友達って

「学生卒業して、社会人になると友達できないよねぇ」

って話を聞いたことが何度もあります。

果たしてどうなんでしょう。

 

僕はそんなことないと思うし、友達っていつでもできる気がします。

 

ところで、友達ってなんなんでしょうね?

 

僕がこの人友達って思ってても向こうにとってはどうか分かりませんし、逆もまたしかりで。

 

皆さんは友達をどのように考えますか?

 

 

有名なんですが、友達にまつわるこんな言葉もあります。

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すごくいい言葉ですよね。

 

 

 

僕も僕なりの友達にまつわるコピーを書いてみたいなって思ったので、ちょっとやってみます。

 

 

 

ちょっといい感じの画像に、活字載せてやってみたらそれっぽくなるんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

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ね?

 

いい事言おうとしてる臭がハンパないですね。

くさ〜〜

 

バンプオブチキンRADWIMPSに影響受けたバンドの歌詞に出てきそうです。

曲のタイトルは「ズットモ」でしょうか。

 

夜中に一人スマホでこんなん作って、相変わらず僕もイタいな、ってなっています。

 

沈黙をストレスなく共有できる他人。

それは友達ではないでしょうか。

 

 

 

では、次行ってみます。

 

 

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自分の中でアイディアが浮かんだときって、めちゃくちゃワクワクしますよね?

誰かのアイディアにこちらがワクワクさせられることもありますよね。

 

そんな話をやり取りしたい誰かっていうのは、自分にとってかけがえのない友達のような気がします。 

 

 

 

 

 

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友達との楽しい酒宴は毎度、深酒で翌朝二日酔い確定。

 

上司や気を使う人、一緒に飲んでも酒の進まない人との飲み会では、さすがに記憶が飛ぶほどは飲みませんよね。

 

とは言え、毎度のように記憶を飛ばす自分もどうかしてるとは思いますが、なかなかどうしてって感じです。

 

 

 

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どんだけお金に困っても、お前にだけは借りたくない。そう思える間柄こそ友達なのではないでしょうか。

 

缶ジュース代とか、その場の飲み代貸してってのは全然アリですが、

生活の為に必要なある程度まとまった金額を貸してって言ってくる人を、友達だとは思えませんし、逆にこちらから友達にそんなこと口が裂けても言えません。(僕的に)

 

向こうから

「いやいや、俺んとこ余裕あるしさ、困ってんだから貸すよ」

って言われても、僕なら断ってサラ金に行きます。(そうならないように頑張ります)

 

 

 

 

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 僕のような器量の狭い人間にとっては、嫉妬させられる人もまた、かけがえのない友達です。

 

身近な人の中にも、素晴らしいアイデアを持っていたり、仕事や私生活の面で面白い取り組みをしてる人は少なくなく、それが独創的であったり意外性に富んでいるとほんとに嫉妬します。

 

SNSで「いいね!」押しつつ心の中では、前向きな意味で「ざけんな!」って叫びます。

 

 

 

さて、

 

いくつか友達について並べてみましたが、これと言ったヒットも産めず、なんとも中途半端な感じになってしまいました。

 

この先も中途半端で生きていく僕を、海亀の産卵でも見守るような気持ちで、友達には受け止めてもらえたら嬉しいです。

 

 

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(優しく見守ってください)