かわなべひろきのブログ

日々の雑感とか

弁当の仕度にて

朝、嫁さんの弁当を準備していました。

 

 

二段の弁当箱で、ひとつにはご飯を、もうひとつにはおかずを数品詰めて。

重ねて布巾で包もうとした時に、

 

「ちゃんとおかずを上の段にしてくれた?」

 

と、聞かれたので見てみると反対になっていました。

質問の意図がよくわからなかったので、

「え?おかずが上じゃないとダメなの?」

と聞くと、

 

「だって、お弁当開けたときにおかずから見えたほうが、わぁってテンション上がるじゃん」

 と、言われました。

 

 

膝から崩れ落ちそうになりました。

何その、日常のちいさな喜び見つけられるセンス…。

 

 

僕はおかずとご飯どっちが先に見えようが、なにも気にならないのですがほとんどの人は僕と同じではないでしょうか?

 

 

何年か前、駅で見かけた一眼レフカメラの広告が、こんなコピーでした。

 

「退屈なのは世界か、自分か」

 

正確ではないかもしれませんが、おおむねこんなのだった。

 

 

 

僕の嫁さんって体調悪くない限りは、毎朝わくわくしてるんですよ。あんたわくわく村の住人かよ、みたいな。

以前、

 「なんで毎朝そんなにワクワクしてるの?」

て聞いたら帰ってきた答えが

 

「え?だってさ、朝だよ?」

 

だけでした。

 

膝から崩れ落ちそうになりました。

 逆になんでワクワクしないのか分からないと言った様子でした。

 

「夏休み期間中の小学生かよ…」

と、声にならない声でツッコミを入れた僕。

しかし、僕も小学生の頃は朝というだけでワクワクしていたような…。    

 

やることの理由意味説明を必要とし過ぎると心がこり固まって、行動や感受性が鈍ってしまいますね。肩こりならぬ、心こり。

 

うちの嫁さん、寝ておきたら心こりがリセットされてるタイプ。

 

いつか、「これでサヨナラ!心こり!」というタイトルでセミナーを開いてもらいますので楽しみにしていてください。

 

コーヒースタンドにて

友達の坂上くん(仮名)がコーヒーを淹れてくれるお店で時間をつぶしていた時のこと。

 

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海に近いこの店。居心地いいですよ。

インスタはこちら、

 HAY COFFEE STAND (@haycoffeestand) • Instagram photos and videos

  

 

エアロプレスという、抽出方法をご存知ですか?

 

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なんか、圧かけて抽出するやつ。

僕もあんまり詳しく分かってないんですけど、とにかくなんか圧かける系のやつ。

中学の先輩みたいな抽出法。

 

 

このお店でも坂上くんがエアロプレスで淹れてくれるんですけど、これがまた美味しいの。

アイスコーヒーってモノによってはすっごくお腹が疲れません?

 

でも、ここのはそうゆうのが全くなくてほんとおいしいから、是非飲みに行ったついでに坂上くんのメガネのレンズを割って各種SNSにアップしてください。

 

すかさず、「いいね!」つけますから。

 

 

時に、僕より先に一人で来ていたお客の青年が、カウンターにお代わりの注文に来ました。

 

注文ついでに、坂上くんに言いました。

「実は僕も今、東京のコーヒー屋さんで働いてて、今、一人旅で鹿児島に来ているんです。ここのお店はどうしても来たくって」

 

 

(マジか!めっさトレンド牽引してるやん!東京のコーヒー屋さんの人がわざわざ来てくれてるなんて、やるなぁ!)

 

と、感心しつつ坂上くんをチラッと見ると、青年の言葉がよほど嬉しかったんでしょうね。

 

 

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坂上くんの表情たるや、胴上げみたいな顔になってました。顔のパーツパーツがあんなにもわっしょい状態になることってあるんですね。

 

 

 顔面が喜び散らかしてました。

 

 

でも、気持ち分かる気がします。

こういう出会いって嬉しいですよね。

 

人から自分のことに興味を持たれるよりも、

自分が興味のあることに興味を持たれることの方が何倍も嬉しいって思いませんか?

 

コーヒーが運んでくれた出会い。

お互いにウンウン頷きながら、嬉しそうに語り合う二人を見ていて微笑ましくなりました。

 

二人の会話には専門用語もバリバリ飛び交っていて、半分くらい何言ってんのか分からなかったんですけど、僕も玄人感出してウンウン頷いてました。

 

「わかるよ、うん、わかるわかる、そうだよね」みたいな。

 

 

 

20年くらい前にyoung guitarっていう雑誌で、B'zの松本さんと、ヴァン ヘイレンの対談が巻頭特集でくまれてたんですけどね。

 

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(ググったらあった。この表紙のダサさたるや。Tシャツにプリントして着たいですねぇ。)

 

 

内容読むと、さすがそこは世界屈指のギタリスト。ほぼヴァン ヘイレンの独壇場。

対談とは言いながらも、松本さんの言葉、ほとんどが相づちだったんですよね。

「うん、確かにね」「そうだよね」

みたいな。

(先輩ヴァン ヘイレンを立てる、という松本さんの人柄かもしれない)

 

 

コーヒー屋さんで二人の間で相づち多めな自分が、この時の松本さんに重なりました。

 

 

聞けばその青年もいつかは自分でコーヒーショップを開きたい夢があるんだとか。

 

聞いているこちらも心が踊りました。

コーヒーに熱いひとのところにはこうやって、コーヒーに熱いひとが来るんだなぁと、しみじみ。

 

「類は友を呼ぶ」と言いますね。

 

自分の周りにいる人たちは自分の鏡。

なんだとか。

 

生活の悲喜こもごもの中で、自分自身のつまらなさ、くだらなさ、ダメさ加減に嫌気がさすことがあります。

そんな時、僕は自分の周りにいる人たちを思い出すと、気持ちが少し軽くなります。 

 

(僕にとって)素敵な、おもしろい、そんな人たちで溢れてる。

だから、自分も存外つまらない人間ではないのかもしれない、という肯定的な気持ちにさせてもらえる。人に恵まれてる。本当にありがたい。

 

 

 

店を出て、もう夕刻には東京へ戻るという青年と挨拶を交わして、愛車のハーレー(と呼んでる原付)にまたがりました。

 

ひらけた真っ青の夏空が象徴的で、勢いよく走り出した僕。

 

 

直後、気づいたんですよね。

 

 

 

 

あ、コーヒー代払い忘れてんじゃん俺…。

 

 

 

 

 

ライブハウスにて

夜、ライブハウスへと友達のバンド「グレア サウンズ プロジェクション」を見に行きました。

 

 

これ見てみて。youtube

GLARE SOUNDS PROJECTION - Blink in the dark night - - YouTube 

 

 

爆音のシャワーの中で、身も心もダーーっとなり、ビールもガーッとすすみ、気持ちの良い時間を過ごしました。

 

 

 もう、キャリアも積んでいるバンドなだけにその演奏たるや、本当に安定感がありテンションも上がった。

こんなに安定してるならもういっそ「グレア サウンズ 生涯雇用」に、バンド名変えればいいのに。なんたって安定してるから。

 

おかげで、膝も腰もグリグリツイスト。気持もスッキリの楽しい時間。

グレア サウンズ 生… 

グレア サウンズ プロジェクションには、この先もずっと音楽を発信し続けて欲しいな。楽しい時間をありがとう。

 

ところで、僕がこれまでに経験したライブで一番過酷だったのが、夏フェス最前列で見たoasis。もう10年以上前ですが。

 

後ろからの圧迫がハンパじゃなかった。胸骨が出川哲郎になりました。ヤバいよヤバいよ〜って内臓はみ出すんじゃ無いかと言うレベル。

 

あまりの圧迫に、

アッシ、圧死しそうになりやしたよ。

 

 

 ね?

 

この頃は、こういった誰も笑えないであろうダジャレを放つことにも全く抵抗が無くなってきました。

 

ぜんっぜん笑えないシャレを言って、なんなら場が凍りつくのを少し楽しめるくらいの構えができるほど。

 

これがいわゆる、オヤジ化でしょうか。 

オヤジギャグを言うオヤジ街道まっしぐら。

 

この前バーベキューやったときも、

「おらおら〜コーンが焼けたぞ〜おらおら〜」

って一口食べた後で、

「およよ〜こりゃまたコーンがり焼けてらぁ」

て言ったら、隣にいた友達が埴輪になりました。

 

 

 

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 (わ、笑えねぇよ…)

 

場も凍りついていた。

 

 (おやおや、みなさん困ってはるわ)

 

と、僕はひとり謎に京都弁で内心面白がっていたのですが直後、となりにいた友達が

 

 

「おいミカ〜(仮名)!コーンが焼けたみたいだぞー!  早くこっちに来〜〜んね!!」

 

と言い放ちました。

 

今度は、僕が埴輪になりました。

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(なにが、来ーんね、だよ)

 

 

本当に、お互いに全く面白くないですよね?

面白くない空気が、逆に面白いみたいな感じもない面白くなさ。

 

困った僕は先の自分をかえりみて、

あれ?ただ僕たち困らせ合ってるだけじゃん…と、なりました。

 

 

いやー、僕がダジャレを言った時周りにいる人ってこんな気持ちにさせられていたのか。と、とても勉強になりました。

 

相手の気持ちって、自分もその当事者にならないと絶対に分からないですね。

 

当事者になっても分かち合えない部分の方がはるかに多いとは思いますが。

 

これまで埴輪にさせてしまった方々にはこの場を借りて慎んでお詫び申し上げます。

 

最後に、

グレア、かっこいいから聞いてみてね!

サウンドクラウドはこちら。

GLARE SOUNDS PROJECTION's profile - Listen to music

 

 

 

 

夜にて

 先日、嫁さんが家を空けていて、自宅に一人の夜がありました。

 

一人が当たり前だった一人暮らしの頃、一体夜は何してたかなぁなどと思い返して過ごしました。

 

 

僕にとって20代後半の数年間は、インターネットと図書館ばかりが普段の遊び相手でした。 大好きだったハズの音楽も聞けなかった。

 

都会の片隅で、特にこれといってやりたい事もなくなり、「ただ生きいてる」という状態の僕はエグいほどの悲壮感を漂わせていました。

 

何者かになる為に都会に出てきて、何者にもなれずにいることがただただ情けなく恥ずかしかった。(今思えばただの自意識過剰でウケる)

 

あきらめきれない色んなことを、あきらめるキッカケをくれた一冊の本との出会いで、僕は様々な決断をして生きのびることができましたし、そのおかげで新しい出会いにも恵まれ、大切な人も増えた。

 

なんだ、「ただ生きている」だけで結構充分だな、と今は思える。

 

 

この前、ある方からもらったフリーペーパーにとあるセミナーのお知らせが載っててそのコピーが、

「あきらめてはいけない!」

でした。

 

出た…。これ系のセミナー…。

僕はこういう活字や言葉が、時としてどれほど人を追い込む殺傷能力を持っているのかを経験から知っているので、あんまり今の自分の好みにはフィットしないんです。

 

ということでこのセミナー、

逆に参加したいな!

と思ったのですが、日付を見ればスケジュールの都合上、行けないことになりました。

 

「あきらめてはいけない」セミナーに参加することを「あきらめなくてはいけない」という、なんとも言葉遊びが過ぎる日常だなぁなどと、思いました。

 

この頃は、苦手なものや好みにフィットしないモノや世界にこそ、ガンガン触れていきたいなぁ、とも思っています。

一度触れてみないとわからない事ばかりですし、食わず嫌いするのももったいないですものね。

 

アスカも歌ってましたもんね。

「100ある甘そうな話なら  一度は触れてみたいさ」

 

 

ところで、僕がTwitterでフォローしている人が有名人の訃報に触れて、

「わたしも周りへの感謝を忘れずに生きよう」

とつぶやいたその2日後に旦那さんのエグい愚痴をつぶやいていて、「感謝の気持ち、はやくも迷子かよ」と、苦笑しました。

 

生活者の中から不意にぽろっとこぼれてくる、こういった、「丸腰の表現」ってサイコーですよね。

 

もはや、あの感謝のツイートは、旦那の愚痴でオトすための前振りでしか無かったのではないだろうかと思ってしまう程でした。

 

気持ちってどうしてこうも続かないんでしょうね…。

 

 

似たような話なんですけど、僕このブログ記事作るのって1日のうちのどの時間でやるとか、特に決まってないんですけど、夜に作った文章ってかなり高い確率で黒歴史になりますね。

 

大概、消去することになります。

  

夜の考え事って、翌朝思い返すとイタいなって思うこと多いです。

 

そう言えば以前、村上春樹調の文体のイタい日記が片付け中に出てきたことをここで書きました…。

 

これ参考記事

古い日記 - かわなべひろきのブログ

 

で、この日記をつけてたのっていつも夜でした。 

夜って人を村上春樹にさせる何かがありますよね。

  

やれやれ。

 

それでは、今日はもうおやすみなさい

 

八百屋にて

八百屋で野菜を選んでいました。

段ボールの中に所狭しと敷き詰まった玉ねぎ。

手に取って選り分けている時にふと思ったんですよね。

 

「これも一期一会だね」

 

何の縁か、どこからやって来たんだか、

手に取ってみると箱の中の玉ねぎとも、しみじみと一期一会の不思議を感じたりしますね。

 

いま手のひらにある玉ねぎ一つの中にも、農家さんが水やり肥料やり手塩をかけて、どっかの土の中で育てあげたことや、そしてトラックか何かで運ばれて、八百屋さんが陳列してくれたことや、そのほか無限に広がる物語を感じるほどに、なんかこう暖かいものが心に溢れてくるんですよね。

 

心の中で語りかけてみるんです。

 

「玉ねぎさ、おまえ、今日ここで出会ってくれてありがとうな」

 

すると玉ねぎの声がするんです。

 

「いやいや、箱に戻すってこれ買わんのか〜い!」

 

 

思い返せば、うちの冷蔵庫結構まだ玉ねぎ残ってたので、買う必要がありませんでした。

次は、調味料の棚に行って醤油のビンを一つずつ手に取ってラベルをしげしげと眺めていました。

 

棚に整然と並ぶ、色とりどりのラベルを見てて思ったんですよね。

 

「それぞれがそれぞれのふるさとがあるんだね」

 

僕も今は育った町で生活をしていますが、10年ほどは県外で生活をしていました。

詩人、室生犀星が詠んだとおり、

「ふるさとは遠きにありて思うもの 」

 

きっとお醤油たちも戸棚で生まれ育ったふるさと、つまり醸造所のことなどを思い返しているかもしれません。

ふるさとを離れ、今こうやって目の前で嫁ぎ先を待っている醤油がけな気でとてもいじらしく思われてきます。

 

一つビンを手に取ると、先の玉ねぎじゃないですが一本の醤油にもたくさんのドラマが浮かんできます。

 

醸造所の方々のこだわり。試作の日々。醤油が完成し産声をあげた、それからこれまでの歴史。そして今ここで僕が手に取ったという、一期一会の奇跡。またしみじみと、暖かいものが胸にこみ上げてくるのを感じました。

 

心の中で、お醤油に語りかけてみました。

 

「お醤油さ、おまえ、今日ここで出会ってくれてありがとうな」

 

すると、お醤油の声がするんです。

 

「いやいや、棚に戻すってこれ買わんのか〜い!」

 

お醤油もまだ結構残ってたんですよね。 

特に今買う必要は無いので棚に戻しました。

 

そんなわけで、八百屋に来たはいいものの、そう言えば買うものないな、と、入った後に気づいたんですよね。

 

惰性で八百屋さんに来ると、そーゆうことってありますよね。

「何買うのか忘れた」

ではなく、

「買うものがないこと忘れてた」

という状況。

 

気をつけたいと思います。

通勤路にて

梅雨入りしましたね。

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ここ最近、雨降りでない限りは自転車に乗らず徒歩で通勤するようにしています。

 

と言っても片道25分くらいの道のりですが。

都会を離れ、地元に戻ってきて今年で5年目。

 

地方都市の生活って、

まーーーーー、ほんと歩かないです。

 

基本、車ですし。

イオンだのスーパーだの行けば、入り口に1メートルでも近い駐車場さがすし。

ちょっとそこのコンビニも車で。

 

以前の半分の半分も日常的に歩いていない気がします。

 

 

30代にして、こんだけ足使わんのヤバイ…。

今のおじいちゃんおばあちゃん達が若い頃、絶対もっと体使ってたやろ…。

と思い、健康のために歩くことにしようと、

思ったわけではなく

なんとなく徒歩通勤始めてみたら想像以上に気持ち良い時間だったのです。

 

歩いていると、自転車や車に乗っている時とは違った発見をします。

 

 

先日も(写メ撮り忘れましたが)前を歩く男性のTシャツの汗染みが、奇しくも世界地図みたいな形になっていて、

 

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(こんな感じで、肩甲骨付近メインで発汗)

 

「我、世界を背負う男なり!」

 

といった感じになっていました。

 

僕の背中が同じことになっていたら、周りの人には絶対に教えて欲しいな、と思いました。

 

鼻くそついてるよ。とか、口臭するよ。

などと同じように、言われた本人も恥ずかしかったり傷ついたりするかもしれないので、多少言い辛いとは思うんです。

でも、例え一時的に傷つけたとしても、教えてあげることが本当の優しさかもしれませんよね。

 

だから、僕は教えて欲しいなと思います。

 

背中が世界地図になってるよ

 

って。

言われた瞬間、顔から火が出る思いや、

穴があったら入りたいくらい恥ずかしいことは覚悟します。

とにかく「我、世界を背負う男なり!」

は、避けたいですよね。

 

 

 

それからこの頃は、垣根のそこここにあじさいの花が綻んでいるのをよく見かけます。

 

あじさいの咲き方って独特の「見られたがってる感」を受けませんか?

 

やけに主張してくるね〜、みたいな。

垣根からの花の覗かせ方パないねぇ、みたいな。

 

あじさいがもしSNSやってたら、自撮り画像たくさんアップしそうなタイプだよなぁとか思ってしまいます。

ハッシュタグに 「#お花さんと繋がりたい」 って載っけるんだろうなぁ、と。

 

そんな健気でブレずに主張してくるあじさいにも、気持ちが和む通勤路。

 

とにかく、毎日色んな発見に触れつつ、気持ち良く歩いて通勤してます。

 

 

日々の生活においてもなんか退屈だなぁとかダルいなぁ、などと感じたら、

ただ歩く

これだけでも結構気持ちがスッキリするものですね。

 

歩くまではめんど臭く感じても、歩き出すとどんどんノッてくるものですね。

 

それに、歩くことに限らず、めんどくさく感じることをやった後って、想像以上に爽快感を得られることがほとんどですね。

 

この爽快感を得られるだけでも、「めんどくさい」に立ち向かっていく価値は充分にありますね。

日々、生活する中で無気力のスパイラルに陥りやすい僕ですが、少しずつ「めんどくさい」をやっつけていく事にします。

 

 

あー、もうめんどくさ…。 

お寺にて〜法話編〜

前回の続き。

 

祖母の三回忌法要で訪れたお寺にて、

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(イメージ画です)

 

件のお坊さん、読経のあと、

「本日はお疲れ様でした、最後に私の方から本日の法話をさせていただきます…」

と。

 

いったいどんな話をしてくれるのかな。

こうゆうときのお坊さんの法話、何気に僕は楽しみにしてるんです。

気持ちがスッキリしたことが今まで何度もありました。

 

 

見れば今日のお坊さん、どう見ても僕より歳下。

お坊さんが歳下というのは僕の人生で初めての経験。

 

(ほう…キミのような若僧が俺に?どれ、聞かせてもらおうか…。)

 

という、歳上というだけで相手より優位に立とうとするイタい自分が、お寺という敬虔な場所でもガンガン顔を出してきました。(ほんとに俗物だなぁ僕は) 

 

そうして、お坊さんが話し始めました。

話を聞き終えた感想から先に言うと、

 

 

退屈が飽和しました

(法話だけにな!やかましわ)

 

 

僕の感覚が狂ってる可能性も否めないので、同じく参列していた身内に一応、感想を聞いてみました。

「何が言いたいのか、全くわからんかった…」妹談

「話長かったね…」義姉談

「早よ終わってくれって思った」兄談

「話、へたやったねぇ」母談

 

満場一致のマイナスジャッジ。すごい。

 

ただ、僕は、前回のブログで綴ったように、人にも自分にももっと寛容になりたいと思っているので、退屈が飽和したのは事実として、

それをストレスに感じることはなく、ただ頬に吹きつける風を感じるようにお坊さんの法話を聞いていました。

 

そしてそれはまるで、

マチュアミュージシャンの(ダメなパターンの)ライブMCを聞いてる心地がしました。

 

うんちく多め。ユーモアなし。遠い目。

 

起承転結、という言葉がありますが今回の法話に関しては、

起転転転転転

といった感じで、1つ1つのエピソードが全く結びつくことなく、転じて転じて転じていつの間にか終わっていました。

 

「like a rolling stone」 というロックにおけるボブディランの名曲がありますが、まさに転がって転がって転がり続ける石のような法話。

 もはや、法話という名のロックンロール

僕の中で、このお坊さん

ダメなパターンのライブMCをするロックンローラーだな、という結論に達しました。

 

まさか、祖母の三回忌法要の場で、こんなロックンロールショウを見られるとは夢想だにしませんでした。 

 

 

人は誰しもロックンローラーな部分を持っています。

思い返せば、僕の祖母の場合は

すき焼きロックンローラーでした。

 

幼い頃祖母の家に行くと、LPガスのデカいボンベ式の卓上コンロで、いつもすき焼きをご馳走してくれました。

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(こんなやつ)

 

このボンベを見ると、祖母の家に来たなぁという感じがしました。

すき焼きロックンローラーである祖母にいつも、ぼくの味覚はRockされていました。

肉と味覚のコール&レスポンスが鳴り止みませんでした。

 

美味しい料理に欠かせない一番の味付け。

それは、

一緒に食卓を囲んでくれる人の存在

だと、今にして僕は思います。

 

幼い僕たち兄弟を、あたたかい料理で、食卓で、笑顔で包み込んでくれたすき焼きロックンローラーである祖母に、改めてありがとうの思いがこみあげます。

 

「Knockin' on heaven's door」という、ボブディランの曲がありますが、天国の扉を叩き旅立っていった祖母のロック魂を僕も受け継ぎ、今生を僕なりに精いっぱい生き抜いていこうと、この三回忌を機に思うことでした。

 

末筆ながら、

 

本当にありがとう、ばあちゃん。