インスタグラムでいかにも「肉の塊です」といった風情の、ステーキ肉を焼き上げる動画が、私を捉えて離さないこの頃。
何事につけ影響を受けやすい私はその日、自身を「最大限の価値」と称する近所のスーパーマーケットに愛車のハーレー(と呼んでいる原付)で颯爽と立ち寄った。
さすが「最大限の価値」。店内の床のテカり一つとっても、常に最大限。思春期男子の鼻頭を彷彿させるに十分なテカり具合。
そんな思春期男子の鼻頭をスニーカーでふみふみ、野菜売場から魚介、加工肉食品を抜けた先、私の目的地であるお肉売場に到着。
陳列棚に並ぶ数多のパックを前に「え…牛肉ってこんなに種類ありましたっけ…」と、そのバリエーションの多さに、しばし絶句。
やれ国産だ鹿児島産だアメリカ産だの、産地を追うだけでも手一杯、そこに追い打ちをかけるように、ロース、バラ、カルビ、ヒレ、リブロース、サーロイン、ランプ、とくればオーマイガーのお手上げ状態。表情も硬くこわばるというもの。
産地と部位の掛け算により、際限なく裾野を広げる選択肢の荒野。そこに佇む私の目の前を幾頭もの牛の幻影が、列をなして横切っていく。こちらに向けられた視線に読み取れる牛たちのメッセージ。
「かわなべさんよあんた、牛肉選ぶだけのことに何をそんなにギュウっと硬くなってんのさ?牛だけにな!」
やかましわ!!と、牛の幻影を振り払い、私は必死に自分を取り戻そうと試みる。
いつだって「目的」とは、その姿をくらますことに長けているもの。こんな時は深呼吸をひとつついて自身に問うてみるのだ。
「俺は何をする為にここに来た?」
「俺をここに向かわせたものは何だ?」
そうだった!!
インスタグラムで見かけるような肉の塊を、自宅で豪快にかじりたいんだ!
ステーキ肉を豪快にかじることで得られる「いかにも強いオス」であるイメージを、妻君にアピールすることで、自堕落な私生活で失墜した私の「夫としての威厳」を取り戻すのであった!
目的が明確になってからというもの、その達成に向けては最短距離で猪突猛進。(ちなみに私の干支は猪である)
陳列棚からイメージぴったりの牛肩ロースをこの手に取り上げる様は、さながら勇者が伝説の剣を引き抜くがごときであった。
「これだ!これこそが俺が探し求めていた牛肉だ!」
こうして意気揚々、帰宅路にありつけた私であった。
ちなみに自宅で調理した肉は、私が火加減をわきまえなかった為だろう、「硬いですねぇ〜、これはとても硬いですねぇ〜、」以外取り立てての感想もなく、豪快にかじってはみたものの「そんなに大きい肉食べて明日の朝、胸やけするんじゃない?お腹壊さないようにね。」と妻君からは心配されるのみであった。
私たちはしばしば、社会がこちらに差し向けてくる選択肢の多さに翻弄され、本来の目的を忘れてしまうことがある。
しかしそんな時には思い出すべき「肉売場での一幕」を獲得できたことこそ、今回の私にとっての「最大限の価値」であったなぁ、などと。
おあとがよろしいようで…。
書いてる人
かわなべひろき(美容師)