かわなべひろきのブログ

日々の雑感とか

夜にて

 先日、嫁さんが家を空けていて、自宅に一人の夜がありました。

 

一人が当たり前だった一人暮らしの頃、一体夜は何してたかなぁなどと思い返して過ごしました。

 

 

僕にとって20代後半の数年間は、インターネットと図書館ばかりが普段の遊び相手でした。 大好きだったハズの音楽も聞けなかった。

 

都会の片隅で、特にこれといってやりたい事もなくなり、「ただ生きいてる」という状態の僕はエグいほどの悲壮感を漂わせていました。

 

何者かになる為に都会に出てきて、何者にもなれずにいることがただただ情けなく恥ずかしかった。(今思えばただの自意識過剰でウケる)

 

あきらめきれない色んなことを、あきらめるキッカケをくれた一冊の本との出会いで、僕は様々な決断をして生きのびることができましたし、そのおかげで新しい出会いにも恵まれ、大切な人も増えた。

 

なんだ、「ただ生きている」だけで結構充分だな、と今は思える。

 

 

この前、ある方からもらったフリーペーパーにとあるセミナーのお知らせが載っててそのコピーが、

「あきらめてはいけない!」

でした。

 

出た…。これ系のセミナー…。

僕はこういう活字や言葉が、時としてどれほど人を追い込む殺傷能力を持っているのかを経験から知っているので、あんまり今の自分の好みにはフィットしないんです。

 

ということでこのセミナー、

逆に参加したいな!

と思ったのですが、日付を見ればスケジュールの都合上、行けないことになりました。

 

「あきらめてはいけない」セミナーに参加することを「あきらめなくてはいけない」という、なんとも言葉遊びが過ぎる日常だなぁなどと、思いました。

 

この頃は、苦手なものや好みにフィットしないモノや世界にこそ、ガンガン触れていきたいなぁ、とも思っています。

一度触れてみないとわからない事ばかりですし、食わず嫌いするのももったいないですものね。

 

アスカも歌ってましたもんね。

「100ある甘そうな話なら  一度は触れてみたいさ」

 

 

ところで、僕がTwitterでフォローしている人が有名人の訃報に触れて、

「わたしも周りへの感謝を忘れずに生きよう」

とつぶやいたその2日後に旦那さんのエグい愚痴をつぶやいていて、「感謝の気持ち、はやくも迷子かよ」と、苦笑しました。

 

生活者の中から不意にぽろっとこぼれてくる、こういった、「丸腰の表現」ってサイコーですよね。

 

もはや、あの感謝のツイートは、旦那の愚痴でオトすための前振りでしか無かったのではないだろうかと思ってしまう程でした。

 

気持ちってどうしてこうも続かないんでしょうね…。

 

 

似たような話なんですけど、僕このブログ記事作るのって1日のうちのどの時間でやるとか、特に決まってないんですけど、夜に作った文章ってかなり高い確率で黒歴史になりますね。

 

大概、消去することになります。

  

夜の考え事って、翌朝思い返すとイタいなって思うこと多いです。

 

そう言えば以前、村上春樹調の文体のイタい日記が片付け中に出てきたことをここで書きました…。

 

これ参考記事

古い日記 - かわなべひろきのブログ

 

で、この日記をつけてたのっていつも夜でした。 

夜って人を村上春樹にさせる何かがありますよね。

  

やれやれ。

 

それでは、今日はもうおやすみなさい

 

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