八百屋で野菜を選んでいました。
段ボールの中に所狭しと敷き詰まった玉ねぎ。
手に取って選り分けている時にふと思ったんですよね。
「これも一期一会だね」
何の縁か、どこからやって来たんだか、
手に取ってみると箱の中の玉ねぎとも、しみじみと一期一会の不思議を感じたりしますね。
いま手のひらにある玉ねぎ一つの中にも、農家さんが水やり肥料やり手塩をかけて、どっかの土の中で育てあげたことや、そしてトラックか何かで運ばれて、八百屋さんが陳列してくれたことや、そのほか無限に広がる物語を感じるほどに、なんかこう暖かいものが心に溢れてくるんですよね。
心の中で語りかけてみるんです。
「玉ねぎさ、おまえ、今日ここで出会ってくれてありがとうな」
すると玉ねぎの声がするんです。
「いやいや、箱に戻すってこれ買わんのか〜い!」
思い返せば、うちの冷蔵庫結構まだ玉ねぎ残ってたので、買う必要がありませんでした。
次は、調味料の棚に行って醤油のビンを一つずつ手に取ってラベルをしげしげと眺めていました。
棚に整然と並ぶ、色とりどりのラベルを見てて思ったんですよね。
「それぞれがそれぞれのふるさとがあるんだね」
僕も今は育った町で生活をしていますが、10年ほどは県外で生活をしていました。
詩人、室生犀星が詠んだとおり、
「ふるさとは遠きにありて思うもの 」
きっとお醤油たちも戸棚で生まれ育ったふるさと、つまり醸造所のことなどを思い返しているかもしれません。
ふるさとを離れ、今こうやって目の前で嫁ぎ先を待っている醤油がけな気でとてもいじらしく思われてきます。
一つビンを手に取ると、先の玉ねぎじゃないですが一本の醤油にもたくさんのドラマが浮かんできます。
醸造所の方々のこだわり。試作の日々。醤油が完成し産声をあげた、それからこれまでの歴史。そして今ここで僕が手に取ったという、一期一会の奇跡。またしみじみと、暖かいものが胸にこみ上げてくるのを感じました。
心の中で、お醤油に語りかけてみました。
「お醤油さ、おまえ、今日ここで出会ってくれてありがとうな」
すると、お醤油の声がするんです。
「いやいや、棚に戻すってこれ買わんのか〜い!」
お醤油もまだ結構残ってたんですよね。
特に今買う必要は無いので棚に戻しました。
そんなわけで、八百屋に来たはいいものの、そう言えば買うものないな、と、入った後に気づいたんですよね。
惰性で八百屋さんに来ると、そーゆうことってありますよね。
「何買うのか忘れた」
ではなく、
「買うものがないこと忘れてた」
という状況。
気をつけたいと思います。