かわなべひろきのブログ

日々の雑感とか

お寺にて〜読経編〜

祖母の3回忌。

 

 

もう亡くなって丸2年かぁ。

早いなぁ、、とは言いつつもこの2年で起きた身辺の変化を思えば、過ぎた歳月の重みをはっきりと感じます。

 

今日は亡き祖母への慕情に浸っていようと、朝から思い出の数々をなぞっていました。

 

法要は市街地にあるお寺で行われるので、定刻には到着するように家を出ました。

 

愛車のハーレー(と呼んでいる原付)にまたがってご機嫌にハイウェイ(と呼んでいる県道)を風のように。

 

ものの10分でお寺に到着すると、待ち合わせていた家族と合流。

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(イメージ画です)

11時になると御堂にて、お坊さんによる読経が始まりました。

 

 

今まで一体何人のお坊さんの読経を聞いてきたか、数えていないので正確には分かりませんが。

この日の読経ほど「はらわたにクる」ものも無かったように思います。

 

確信犯でしょ?と疑いたくなるほどに、僕の笑いの琴線に触れて来るお坊さん。

 

(いかんいかん!今日は大好きなばぁちゃんの三回忌なんだ!)と何度、自分を戒めたことか。

 

しかしそんな僕の戒めの防波堤を、「シャ〜リ〜なんちゃらなんちゃらかんちゃら…」という坊さんのオモシロ読経の津波は軽々と飲み込むのでした。

 

草刈正雄さんを彷彿させる発声。

ロディアスにして、過剰なヴィブラート。

ほんとなんなの、この坊さん…。

 

 

時に、これは以前から気になっていたのですが、お経を聞いているとやたら、

「シャーリー」って出てきますよね?

 

詳しくはそれが何を意味するのか知りませんし、僕は音として「シャーリー」を認識しているだけなのですが。

 

この日も、何シャーリーあったか分からないくらい、ふんだんにシャーリーがあしらわれていました。

ちょっと散歩すると見かける美容室の数くらい頻繁にシャーリー。

並盛りシャーリーだくでした。

 

 

そんな事ですから、ついつい僕の意識はシャーリーをカウントする方へ。

(1シャーリー…2シャーリー…3シャーリー…)というように。

 

そうして聞いていると、シャーリーとシャーリーの間隔が狭い時もあれば、中々次のシャーリーがこない時もあるんですね。

 

かつて僕は東京都の調布市という町に住んでいた事があって、京王線に乗って新宿方面へむかうとき。

西調布駅調布駅布田駅

という駅の並びなんですが、同じ一駅でも、西調布から調布、そこからの布田とでは距離の間隔が全然違ったんです。

そんな京王線とまったく同じことが、シャーリーにも起きていました。  

 

あれ?まだこないのかな…。ネクストシャーリーまだかな…。

と、計らずも「シャーリー待ち」をしている自分に気づき、あまりに現れない時などは「シャーリーロス」に陥りそうになったことは言うまでもありません。

 

そんなことなので結局最後まで僕の意識は、シャーリーという名の鎖に繋がれた囚人のようでした。

 

読経が終わり、まず僕が思ったこと、それは。

 

 

 

「ばぁちゃん…ごめん」

でした。

 

大事な三回忌に、

世間は海開きこちとらシャーリー開きにうつつを抜かせてしまい、祖母に向ける顔がないなぁと。

法要のあいだは、祖母への思いを馳せていようと決めていたのですが…。

 

本意ではないとは言え、自分がやろうと決めたことをできずじまいになると、自分を責めてしまう部分てありますよね。

(あーなにやってんだ俺、ほんとダメなやつ…)

みたいに。

 

でも、最近の僕は人にも自分にももっと寛容になりたいなぁなどと、思うのです。

そうゆうもんだよねー、と、丸ごと受け入れる器があれば、きっと、人のことも、自分のことも責めなくて済む。

 

 

ですから、この日も、

「ばぁちゃん、ごめん。」

その思いを区切りに、たらたらと自分を責めたりはしませんでした。

そんなことは、祖母だって望んでないはずだし。

 

それに、僕の祖母は海のような広い心と太陽のような笑顔の持ち主でした。

 

これくらい、

「ひろき、あんたはほんにおもしろかねぇ」

(本当に面白いねぇ)

と、笑って許してくれることでしょう。

 

 

 

でも、これだけは分かってほしい。

 

 

あの坊さん、きっとわざとだから!

 

 

そして、読経にとどまることなく、坊さんからのさらなる猛攻が……

 

 

 

 

〜法話編〜、につづく…